岩井流宗家の歩み
昭和26年(1951年) 5月、歌舞伎俳優・十代目岩井半四郎の長女として生まれる。
昭和29年(1954年) 3歳で歌舞伎座にて、日本舞踊の初舞台を踏む。
昭和39年(1964年) 岩井家の養女となり、仁科友見から岩井友見となる。
昭和42年(1967年) 祖父・初代花柳寿太郎の「舞踊の跡を継げ」との遺言にて、本格的に舞踊の道へと進む。
昭和56年(1981年) 日本舞踊正派岩井流家元を襲名。歌舞伎座にて襲名公演。
昭和63年(1988年) 外務省の要請にて国際文化交流を始め、岩井流日本舞踊をアメリカで初めて披露し、外務省より感謝状を受ける。
平成元年(1989年) ヨーロッパにて初めて岩井流日本舞踊を披露。ドイツ「ボン2000年祭」に参加。
スイス・ジュネーブの波多野国連大使公邸にて、50カ国の国連大使の前で踊る。
平成3年(1991年) 親善大使として、タイ・マレーシア・インドネシア3カ国で岩井流日本舞踊を披露する。
平成4年(1992年) 一連の国際文化交流の功績に対して外務大臣表彰を受ける。
平成7年(1995年) NHKハイビジョン撮影による「芸能花舞台」に常磐津「お夏狂乱」にて出演。
平成9年(1997年) モナコ公国統治700年記念「ジャパン・フェスティバル」に参加。グレース王妃シアターにて岩井流日本舞踊を披露。
平成11年(1999年) 芸能活動30周年記念公演として、モナコ・オペラハウスにて「国際文化伝統の夕べ」を開催し、文化親善に努める。
平成14年(2002年) 東京国立大劇場にて、岩井流家元襲名20周年記念の岩井会を開催。
平成17年(2005年) 愛・地球博 EXPOドームにて「濃姫伝説」を発表。
豊田スタジアムで行われた、愛・地球博パートナーシップ事業「祭座ニッポン」の総合プロデューサーを務める。
平成20年(2008年) 東京国立大劇場にて、岩井流家元襲名25周年記念公演を開催。
平成21年(2009年) 世界遺産 比叡山延暦寺・国宝 根本中堂で開催された“歌と舞いによる「世界平和」を祈る夕べ”において、奉納舞「祈り」を納める。
平成22年(2010年) 3月、岐阜市市制120年「中将姫誓願桜」創作舞を踊る。(岐阜市・十六プラザ)
10月、世界遺産 平城宮跡東院庭園にて「平城遷都1300年祭」記念創作舞を踊る。
平成23年(2011年) 東京国立大劇場にて、花柳流四代目宗家家元 花柳寿輔師と共演。
12月、父・十代目岩井半四郎 永眠。
平成24年(2012年) 4月、岩井流宗家を継承。
過去の画像
岩井家の歴史

初代 岩井半四郎

承応元年(1652)〜元禄12年(1699)

有馬の扇商の子に生まれ、若衆方から立役となり、天和頃には大坂で当時の名優山下半左衛門や坂田藤十郎に次ぐ人気を得た。また元禄2年には大坂で岩井座の太夫元を兼ねるようになる。口跡優れた美男で、武道、実事を得意とした。前名半之助、通称長四郎。

二代目 岩井半四郎

未詳〜宝永7年(1710)

初代の長男。岩井亀松から元禄12年4月に二代目半四郎を継ぎ、太夫元も務めた。若衆方から娘役となり、のちに立役に転じている。

三代目 岩井半四郎

元禄11年(1698)〜宝暦9年(1759)

初代の三男。正徳5年11月、三代目半四郎を襲名し、同時に宝永7年以後絶えていた太夫元を兼ねた。和事に優れていたが、宝暦5年に舞台を退き、女婿である江戸の四代目団十郎の許に下る。

四代目 岩井半四郎

延享4年(1747)〜寛政12年(1800)

画像江戸の人形遣い辰松重三郎の子。明和2年11月、中村座で岩井家の養子となり四代目半四郎を襲名。三代目瀬川菊之丞と共に江戸の女方の代表となった。丸顔で愛嬌に富みお多福半四郎と呼ばれ、政岡、重の井、戸無瀬、戸浪、千代等が当り役で、「道成寺」他の所作にも名演技を残した。

五代目 岩井半四郎

安永5年(1776)〜弘化4年(1847)

画像文化文政期の名優で、「眼千両」とたたえられた。四代目の子。幼名長松。文化元年11月、中村座で五代目半四郎を襲名。
文政5年、市村座の立女方となり、女方での座頭的地位は異例であった。弘化初年に剃髪して引退。美貌の上せりふ廻しが巧みで立役、荒事をも兼ね人気を集めた。特に生世話に優れ、毒婦、悪婆の役柄を確立したことで知られている。女清玄、お七、お染の七役などが当り役。

六代目 岩井半四郎

寛政11年(1799)〜天保7年(1836)

画像五代目の長男で幼名久次郎。天保3年11月、中村座で六代目半四郎を継いだが、38歳で没した。お七、お三輪、お初から政岡、覚寿などの老女方まで女方のあらゆる種類をよくした。